
中学や高校の授業から専門学会の研究集会までの「人前で説明すること」には段階の違いがあり同じではない.
段階の違いについて顕著な相違を列挙し, 中学や高校の授業と, 大学(院)での講義や研究集会での講演の違いを特徴づけたい.
このブログでは次の3点を違いとして挙げる.
- 論理(勉強)が成熟しているか否か
- 聴衆は全員か否か
- 授業が連続的か離散的か
簡単に言えば, 「その説明」が教育を目的としているのか, 伝達を目的としているのかの違いと言える.
一つ目の違いから簡単に言及できる博士号教員の中等教育での強みも述べる.
論理(勉強)が成熟しているか否か
論理的思考が成熟しているか否かを, 聴衆側への目的とするのか手段とするのか, 曖昧にしていることが少なからず存在する.
論理的思考の成熟段階の違い
話者は説明する際に知識を論理立てて話すでしょう.
専門学会の研究集会での聴衆(つまり研究者)は論理的思考の鍛錬を充分に経験しており, 説明の論理を比較的容易に追うことが可能である.
一方で, 中高の生徒は論理的思考を養っている段階である。
例えば, 研究者がある分野について「分からない」と発言するときがある. 単純に知識の無さを示していることが多いと想像していただけるだろうか.
しかし, 生徒が「分からない」と言う場合には, 単純に知識がないことを意味するだけではない.
- 論理に追いつけないこと
- 頭の中で整理できないこと
- 自分で勉強して理解を深める方法が分からない
こういった状態が多くの生徒に当てはまるだろう.
(もちろん, 研究者がこの状態になることもあるが, 今は対立を比較するために, あえて対峙させた. )
このように, 聴衆が論理的思考を身に付けているか, もしくは自分で勉強する方法が身に付いているか否か, という点は, 講演と授業の大きな違いである.
伝えることか教えることか
研究集会での講演と中学や高校の授業での説明の方法を混同してはいけない.
講演と授業の考え方には区別が必要である.
例えば「説明」という言葉の解釈の違いを見てみる.
- 講演では「伝えること」
- 授業では「教えること」
このように区別できるかもしれない.
研究者が論理的思考や自由に思考することが可能であることは長い鍛錬の成果であること, 初学者がある単元を習得するには時間が掛かることを忘れてはならない.
中高生への指導は, 時間を充分に取り, 勉強の仕方も教えつつ, 丁寧に授業を進める必要がある.
中高教員は, 生徒の反応をよく観察し, しばしば待ちながら授業を行う必要がある.
もちろん, 生徒の成長にも意識を置く必要がある.
中等教育では学問を教授するだけではなく, 生きる力を学習から養わせる側面も存在する.
以上のように, 「説明」の解釈に大きな違いが存在すると言える.
論理的に成熟している指導の強み
論理的思考や, 自由に思考することの会得は博士号取得者の中高教員としての強みとできる.
博士号取得者は(教科指導の目指すべき目標の一つである)論理的思考の技能を肌感覚で知っている.
論理的思考を養う指導をして生徒が目標に到達するための段取りを組み立てるためには, 論理的思考の有意さを肌感覚で知っていることが必要条件である.
博士課程で経験したことを振り返ればには, 論理的思考から得られるパワフルなメリットがあるはずだ.
つまり, 博士号教員に見出せる強みとして,
生徒の論理的思考や自由に思考することを養うための指導を有効に達成するための適切な仮説, 適切なPDCAサイクルを回すことができる
ための素地を博士号教員は持っていることを主張したい.
聴衆は全員か否か
研究集会での講演でも中学や高校の授業においても, 聴衆及び生徒に興味を持たせることから始めることが大切であることは共通している.
しかし, 中高教員から次の発言をしばしば聞いた.
「研究集会は(その学問に)興味のある人の集まりであり, 生徒は興味を持たないので興味を授業に向けさせることから始めないといけない. 」
興味という言葉が指す意味が異なることを考える必要がある.
- 研究集会の講演は, たとえ興味の無い話題と言えども, 幾分かは理解を持つ話題(のはず)である.
- 中学や高校の授業における生徒は「何も知らない」ことが出発点である. 単元の理解もおもしろみも全く無いところから始まる.
研究集会では興味の無い話題であれば, 聞かないという選択肢を取ることが可能である.
しかし, 学校で生徒は話を聞かなければならない.
以上から, 次の対比が得られる:
- 研究集会における話者は(特定の)興味のある聴衆(のみ)に説明すれば良い.
- 中高教員は生徒全員に興味(とやる気)を持たせ生徒全員が分かるように説明しなければならない.
ちなみに, 高等教育(大学)は, 興味のある者や分かる者を対象にした講義の場であるかもしれない. しかし, 講義室に居る未学者や分からない者を全く憂慮しない講義が多く展開されているように感じる.
授業が離散的か連続的か
大学の講義と, 中学や高校の授業の頻度にも大きな違いは存在する.
- 大学での講義は一週間の内にせいぜい1, 2回(離散的)
- 中学や高校での理数科目の授業はほぼ毎日(連続的)
さらに研究集会では, 同じ聴衆に対して講演する頻度は少ない.
頻度の違いは毎回の講義や授業に掛ける準備の時間の量を全く異なるものにさせる.
講演や講義は離散的であるので, 話者は授業の構想を練り, 板書の原稿を構成する時間をまとまって確保することができる.
しかし, 中学や高校の授業は連続的(ほぼ毎日ある)であり, 話者は幾つかの授業の構想及び準備を予め用意する必要がある.
授業が2日間連続している場合, 1日目の内容の終了した所から始まる授業構成を翌日の授業までに考える必要も生じる(もちろん予定通りに 進むことが大切だが).
この繰り返しが毎日続く.
中学や高校の授業では, 充分に練った授業準備とともに, 準備の効率性を持つ必要がある.
中等教育現場では, 連続した授業頻度に対応する工夫と中長期的な授業の展望が強く求められる.
つまり, 授業が連続的か離散的かであることも大学の講義や研究集会とは異なることに留意する必要がある.
研究者(講演や講義)vs教育者(授業)
本章(このブログ)で言及した3つの違いは講演・講義と授業の違いである.
言い換えれば話者が研究者か教育者なのかを特徴付ける事柄であると言いたい.
同時に, 聴衆が大人(専門家)なのか子ども(生徒)であるのかを特徴づける事柄でもあると言いたい.
これらの区別を曖昧にしたまま, 博士号取得者が中高の授業の舞台に立つと, 滅茶苦茶な授業になってしまうでしょう.
以上を高等教育と中等教育での授業や話者と聴衆の違いと共通了解を得た上で, 今後の議論を進めたい.